2011年12月29日木曜日

たんぽぽ舎さんより-食品の放射線量安全基準

★1.基準「100ベクレル」は妥当か?-食品や飲料水の新基準について
   全体としては「まだ10倍以上は高すぎる」、ゼロベースに、
   少なくとも5ベクレル以下に
                       山崎久隆

 食料品や飲料水からの放射線被曝限度をどのように捉えるかについては、既
に一定の基準がある。いろいろな場面や物質から様々に被曝するのが現実の社
会なので、全体を足して1ミリシーベルトを限度とした場合、個々の限度は
10マイクロシーベルト(100分の1ミリシーベルト)相当に割り当てると
考える。
 例えば「飲料水から10マイクロシーベルト」「主食から10マイクロシー
ベルト」「副食から10マイクロシーベルト」「空間から10マイクロシーベ
ルト」「医療用線源から10マイクロシーベルト」などという具合にである。
 この逆算から出てくる一つの被曝源が「震災廃棄物」であり、それを処理処
分した場合の被曝線量を10マイクロシーベルトに抑えるには100ベクレル
kgとすると決めたのがクリアランスレベルの考え方を踏襲したものだ。実際
にそうなるかどうかは条件が多岐に変化するため分からないが、この程度に抑
えておけば、悪い条件が重なっても10マイクロシーベルトを超えないだろう
と判断したと言うことだ。
 問題は多く、私は反対だが、クリアランスレベルは既に2004年に導入さ
れている。原子炉等規制法の改正として実施されているので、今回の原発震災
によって決められたということではない。キロあたり8000ベクレルとか、
10万ベクレルなどといった恐ろしい環境省の「暫定処理基準値」のほうは、
これに照らせば違法であると言わざるを得ない。(放射性廃棄物として適切な
施設で焼却するか、または密封管理した専用処分場に処分する)
 食品の限度を100ベクレル/kgにした場合、どの程度の被曝量に相当する
のか、これについてはおおむね飲食物の摂取で「1ミリシーベルトには達しな
い」ということで導入されるようだが、これは今までの考え方からは10倍以
上も高すぎる。
 「厚労省は、仮に新基準値上限の食品を一年間食べ続けることも考えにくい
ため、実際には0.7ミリシーベルトをかなり下回るとみている。」という厚
労省の「解説」が茨城新聞に載っていたが、これも間違った考え方である。基
準値というのは、これを超える場面も想定をして、悪い条件が重なっても十分
安全側に入る程度に設定しなければならない。つまり、規制値一杯の食品ばか
り食べたとしても目標の被曝限度の10分の1(厚労省の言い方に沿うならば
100マイクロシーベルト)程度に収まるようにすべきなのだ。
 安全規制値とは、そのような考え方で決めるものなのである。
 さて、この「100ベクレル/kg」にしろ「500ベクレル/kg」にしろ、
これはいわば「我慢量」である。原発震災により日本中に拡散した放射能を誰
がどれだけ「引き受けるか」という問題だ。極めてパーソナルな問題であると
同時に、責任を分担すべき人とそうでない人がいるだろう。そこをはき違えて
はならない。
 「未来の世代にツケを回すな」これは反原発運動がチェルノブイリ原発事故
の頃に私たちが主張したスローガンだったが、いつしか「未来の世代に負担を
残すな」という言葉が「高レベル放射性廃棄物処理処分」の場面でNUMOに
より主張されだした。この本末転倒振りに唖然としたが、今度は未来の世代を
「過度に」被曝させるような「被曝基準」を政府自ら作り出した。それも「安
全基準だ」として。
 依然として安全神話が形を変えて再生産されてるだけで無く、とうとう自ら
言っていることの論理矛盾にも気づかなくなっているらしい。
 成人、子どもたち、乳幼児、産婦別に、さらに「水<牛乳<主食<野菜類<
魚肉類<その他」という段階を設けた摂取限度をもうけるべきだろう。
 既に原発を作り続けてしまった世代からの、最後の罪滅ぼしが出来るとした
ら、未来の世代を可能な限り「飲食物を通じてはゼロ被曝」に近づける努力を
こそ今すべきなのだ。特に学校給食のように、子どもたちが摂取するシーンで
は、ゼロベース、現実的には少なくても5ベクレル以下を測定できる装置で
「測定限界以下」とするべきだ。40ベクレル/kgはやはり10倍高すぎる。
 全体としては「まだ10倍以上は高すぎる」これが今回の「100ベクレル
/kgなどの新規制値」に対する私の意見である。

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